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●他力本願
通常は自力本願の反義語として他力本願は使われ、それでは駄目だと戒める
際に用いられます。浄土真宗の用語では、他力とは阿弥陀如来様のことで、
非力な人間はすべてを御仏にすがりますという意味で使われますので、全く異なる
ふたつの解釈が存在するわけです。
日常の生活で解釈されている他力本願は、自分ではあまり努力せずに、他人の
力ばかり当てにすることを言います。自分が非力であるというよりも、使えるものは
何でも使おうとする自己中心的な考えの典型でしょう。
他人から学ぶというよりも、自分の利益のためにだけ他人の存在を認めることを
優先する表れです。ここから生まれてくる新しいものは何もありません。
一方、浄土真宗の他力本願は、自分がいかに非力であるかを悟った者が、御仏の
存在を信じ、その教えを守ることによってのみ人は人らしく生きられると考える事です
そこには素直なこころがあり、教えを請う謙虚なこころが生まれてきます。
このふたつの差は、年齢を積み重ねるごとに大きな開きとなって、大河のこちらと
むこうの差ほどにもなります。昔、天国と地獄の例え話でこのようなことを聞いた
ことがあります。
「大きな鍋にご馳走が用意されています。それをとるスプーンは取っ手と玉の部分
だけが木でできていますが、その間は熱く熱せられた金属でできています。
天国では人同士が交互にご馳走をすくって相手に食べさせていますが、地獄では
相手に食べさせてその後自分も食べさせてもらうという考え方がおきてこないために
ご馳走をまえに誰もそれを食べることができない。」というものでした。
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