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●大衆は批評家である
この言葉は「HONDA」の創設者本田宗一郎氏がコラムの中で言われたものです。
その中では、これから述べる内容とは違う意味で使われていましたが、論旨の
結果としては同じような意味合いなのかも知れません。
私たちは人生をおくる中で、非常に重要なことや年を重ねるごとに千変万化する
悩みを解決する際に、過去の経験則や回りはどう思うだろうか等に、ある意味配慮
しながら行動していきます。
それは社会的にも平均的な判断がまあ妥当なところであるという、「群れの意識」ではなかろうかと思います。人間はその生立ちが「群れ」を前提にしなければ
存続できない弱さをもっていますので、止むを得ない面もありますが、ただそれだけ
では雀の群れと大差ないものになってしまいます。
群れから外れないようにする事も必要でしょうが、その群れがどこに向っている
のかを確かめる作業も同じ位必要です。それには批評家や先達の声に耳を
傾けることもあながち無駄ではありませんが、自分なりの宇宙観のようなものを
模索して、人の生死から始まる「混沌として漠然とした生命というエネルギーの
行く末」に近づくことが、より近道のような気がします。
人は死ぬまで犬にはなりえず、犬もまた死ぬまで人にはなりえません。
人として生を受けた以上、人として生き、人として死を迎えざるをえません。
それは、人の本質を知る大きなチャンスであると同時に、人のもつ弱点を抱え
ながら生きることも意味しています。
この弱点を示唆してくれるものこそ、人を導いてくれる大きな力でありますが、
大衆は大きな力の影を見せてくれる役割は果たしますが、その大きな力では
決してありえません。
私たちは、大衆の向こうに見え隠れする大きな力を見失うことなく、じっと目を
凝らしてそれなりの宇宙観を持とうではありませんか。
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